覚えていないこと
今週のお題「わたしのプレイリスト」
部屋の掃除をしていたら前に使っていたiPodが出てきた。
掌に乗せた時の薄さや冷たさは余りによそよそしくて、懐かしいというより初めましての気持ちだった。
どうせ使わないし売ってしまおうと思い、売る前にはデータを消さなきゃなと思った。
充電器に差し込んでパスワードを打ち込んで、ふと思い立って音楽アプリを開いた。
「えー!うわ!懐かしい!」
誰もいない部屋に自分の声が響く。
そうそうこの曲流行ってたよなー!よくカラオケで歌ってたなー!って。
その中の一つを何も考えずに再生した。
曲が終わって私は呆然とした。
その曲は、その頃すごく好きだった人が聴いていた曲で、今はよく知るそのアーティストも思い出してみればその人と話すために好きになったようなものだった。
そういうことを、もう全部忘れていた。
画面をスクロールすれば、そのプレイリストは「わたし」のプレイリストではなく「好きだった人」のプレイリストだった。
悲しくもない、懐かしくもない。ただ、忘れていたことを思い出しただけだ。
そのあと私は端末のデータを全て消して、売りに出してしまった。
その時の換金したお金もその日の昼ごはんが何かに消えた。
そのプレイリストを見ることはもう二度とない。
ご覧の有様
今週のお題「下書き供養」
「私を殺してほしいんです」
「は?」
男は飲んでいたコーヒーのカップを危うく落としそうになった。
なんとか持ち直し、目の前に座る女の顔を改めて見る。
造形は悪くない、容姿で稼ぐことは出来ないが電車で隣の席に座ったときラッキーと思う程度には整っている。
ソファと同じくらいの高さのテーブルにカップを置き、その隣に置かれた調査書を見れば、家族関係も良好、友人もそれなりにおり学歴も申し分ない。現在恋人はいないようだがこの年齢ならまだ心配もいらないだろう。
「だから、----を殺してほしいんです」
再度女は自分の名前を言い、殺してほしいと志願した。
「いや、聞こえている。聞こえた上で驚いてるんだ。金がいるのか?」
生命保険をかけて他殺に見せかけて殺しを依頼してくることは、まあ、ある。
だがなににも追い詰められていない目の前の女が突然自分を殺してくれとは理由がわからない。死にたいのなら自死すればいい。そう出来ない理由があるのか?そう思い聞いた。
「お金ですか?でも自殺だと生命保険おりないんですよね?」
女はきょとんとして答えた。
その声色は年相応で、先ほど殺してほしいと言った声とは全く違った。なるほど流石に殺しの依頼には緊張していたらしい。
男はふーっと息を吐き出し、ソファにもたれ足を組んだ。
「おりないね。ならどうして君は自分を殺したい?その言い方だと他殺に見せかけたいわけじゃないんだろう。自殺なら別に高い金を払って人に依頼しなくても…」
「死ぬのって怖いじゃないですか」
女は俯き、被せて言った。食い気味ではあったがその声色は暗く、ひどく落ち着いていた。そのまま続ける。
「私、子供産めないんです。体がどうとかは調べてないからわかりませんが、気持ち悪くて。自分の中から自分じゃないモノを産んで、育てて、老いていくのが。今やってる仕事も別に私じゃなくても誰でもできるし、私は芸術家でもない。このまま生きててもなにも残せない。」
女は一息でそこまで言うと、スッと息を吸い込みまた続けた。
「だから、気づいたんです。私明日死ぬのも10年後に死ぬのも一緒だって。このまま、苦しいまま生きるくらいなら自分の寿命を決めてやりたいことやって生きるのがいいって思ったんです。」
「だから殺してほしい?」
男は女が言い切るのを待たず、最後の言葉を奪った。
「そうです。まあ殺される日まで生きてる保証もどこにもないんですけど。」
「そりゃそうだ。」
人間、誰しも明日生きてる保証なんかない。明日どころか1時間後死んでるかもしれない。毎年4千人が交通事故で死んで8万人が行方不明になる国だ。自殺者はもっと多いが。
「私、好きなものがあるんですけど」
女は語り始めた。こういう仕事の客は男も女も年齢も関係なく語るやつが多い。
こんなに苦しいんです!こんなに悩んでいるんです!可哀想でしょう!死ぬのも仕方ないでしょう!殺すのも仕方ないでしょう!
理由があれば命さえ奪ってもいいと思っている。一つ上手くいかないだけで悲劇のヒロイン気取りだ。この世で自分が一番不幸だと信じて疑わない。
「苦しいことがあると、好きなことが道具になるじゃないですか。苦しいことを乗り越える道具に。そうすると、好きなことを純粋に好きでいられないんです。自分の思い通りにならないと腹が立つし、どうしてって思ってしまう。そういうの嫌なんです。」
「どうせ心なんて薬一つでコントロール出来るのに」
「よくわかってるじゃない」
男は足を組み直して返事をした。目の前の女は顔を上げて冒頭の言葉を、しかし先程よりしっかりとした声で繰り返した。
「私を殺してください」
お気に召すまま
お前らに何がわかる
今週のお題「〇〇からの卒業」
その日は私の25回目の誕生日だった。
日付が変わった瞬間から、ビニール袋を手にしている今までずっと悲しいままだった。
目の前には病める時も健やかなる時もずっと私を支えてくれていたアイドルのグッズが所狭しと並んでいる。
つい1週間前に円盤が発売されて、それをディスプレイしたばかりだった。
その円盤を、買わないわけにはいかなかった。例え1週間後に私の手から離れるのだとしても。宝物からゴミに変わるのだとしても。買わないわけにはいかなかった。
だって、5年前に出会った瞬間に、一生推すって誓ったから。
無邪気に、あの時私は一生推すと誓った。決意に近かった。確信に近かった。
なのに今日、私の宝物はゴミに変わる。
5年という月日は私と私の周りを変えるには十分だった。
どれだけ耳を塞いでも、聞きたくないと喚いても、世間はそれを許してくれなかった。
「もう若くない」「いい歳して」「そんなものに」「先のことは考えてるの」
私たちに投げかけられる言葉いつも正論の皮を被った暴論だ。
何歳までに初潮を迎えて、何歳までに処女を捨てて、何歳までに結婚して、あげく何歳までに子供を産まなきゃ子宮が腐り落ちるってまで言われて。
勝手にクリスマスケーキと賞味期限を並べられて。
偉そうに。
そうやって卒業を強いるくせに、優しい顔した奴らが「私は、俺は、そんなの気にしないよ」「綺麗な人もいるじゃん」なんて言いながら、上から目線で慰めてくる。
そんな時ろくな言葉も見つけられず怒りに震える拳をテーブルの下に隠して、曖昧に微笑んだことも一度や二度ではなかった。
今までも、そしてきっとこれからも。
ビニール袋を掴んだ手が震える。
熱いものが目から溢れるのがわかった。
大好きなアイドルの顔が歪んで見えない。
自分がどうして泣いているのかわからなかった。
思い返せば、私に投げかけられる言葉は「応援すればいいじゃん!歳なんか関係ないよ」だったけれど、私たちに投げかけられる言葉は「いい歳こいてそんなものに熱中して」だった。
その言葉に反論することも、世間の流れに逆らう事もできなかった。それが悔しいんだろうか。
違うと思う。
5年前、一生推すと誓った自分を裏切ることが辛い。あの時誓った熱量と、今ここにある熱量は変わらないのに。それでも、誓いを破る自分が浅ましくて卑しくて苦しい。
私は目の前のポスターを剥がした。
それを手に持ったゴミ袋に投げ入れていく。グッズも、写真も、団扇も、次々と手に取っては投げ入れていく。
涙が溢れていてよかった、目の前が滲んでいてよかった。
こんな現実、直視したら死んでしまう。
ゴミ袋の中に私が捨てたのは、アイドルのグッズではなく私自身だった。
卒業したのは、アイドルのファンではなく自分の人生だった。
どうでもいい話
「なにか食べたいものありますか?」
「どこに行きますか?」
ほぼ初対面の人間に送った問いかけのLINEの返信が「○時に××で待ち合わせましょう」だけなのはどうなの?
女はスマホ片手に顔を歪めた。
これで行き先決まってなかったら最低だな…と思いながらわざわざ指摘してやるほど優しくも親しくもないので「わかりました!」とだけ返した。
つまらない男だと思う。
そしてそんなつまらない男に時間を割いている自分も当然につまらない女だ。
スマホを握ったまま明日の約束について考えた。今座っているソファの生地をぼーっと見つめる。
(あ…髪の毛ついてる…)
髪の毛をつまみながら明日行き先決められてても最低だなーと思った。
ほぼ初対面の人間の食の好みがわかる超能力がない限り、行き先を勝手に決めるのはめちゃくちゃ自分勝手か、『いいところを見せたい』というオナニーでしかないだろ。
髪の毛をゴミ箱に落としながらなんでこんな男に時間を割いてるんだろ…と思ってももう遅い。社会人として身についた約束を反故にしないという癖が明日の服を決めなければと思考を操る。
なにもかもが億劫でソファにより深く腰を沈めた。
もう選ぶ側ではないのだと分かっている、王子様を待ったところで歳を取るだけだ。
まだ外は明るい。明日まで時間はある。
女は静かに目蓋を下ろした。
泡沫
いつか会える、いつでも会えるは二度と会えないにとても近いものだと知った。
新年の挨拶をして、今年もよろしくと言った翌日に連絡が取れなくなった人。
次はどこに行こうか、旅行の予定を立てるだけ立てて仲違いした人。
手を繋いで、体を重ねて、愛し合ったのに朝になれば一人だったこと。
一度や二度ではない。
声から忘れていずれその香りも忘れる。
思い出だけが何度も何度も私の脳味噌を揺らすのに、その思い出さえ私の作り物かもしれない。
少なくとも人に話してしまった思い出は私の作り物だろう。
別にそんなに綺麗なものでも特殊なものでもない。ありふれた話だ。
そう、世の中に溢れた、凡庸な話。
ありふれた話なら、こんなにも私の脳味噌の容量を奪わないでほしい。何年経っても私の心を占めないでほしい。
街で面影を探させないでほしい。日常の中に欠片を見つけて喜怒哀楽を揺らさないでほしい。
私だけが、いつまでも私の作った思い出で雁字搦めだ。
地獄への道は
お題「#この1年の変化 」
ゆっくりと、ゆっくりと、しかし確かに、摩耗していく。
外に出ること、面と向かって話すこと、触れ合うこと、今まで「善」とされていたものが「悪」になって1年。
朝起きて、準備して、電車に乗って、仕事をして、家に帰って眠る日常。
そうやってすり減った部分を、旅行という非日常や、親しい友人と話すことや、愛する人と触れ合うことで補ってきた。
補って、やっとギリギリ生きてきたのに。
補うことを「善」とし褒められてきたのに。
それはいつしか「悪」になって、悪事を働くと「疫病」という「罰」がくだるらしい。
もう無理かもしれないと思う。
口を開いても、もう眩いものはない。
溢れるのは酷く陰気な自嘲ばかりだ。
ここを乗り切れば!
みんなで頑張れば!
押しつけられる善意に吐き気がする。
ゴールも見えない、給水所もないマラソンをしているようだと思う。
聞こえてくるのは善人の声援ばかりで、誰も血が流れている足の手当てはしてくれず、喉が枯れて血を吐いているのに止めてはくれない。
そうして途中棄権したランナーに、善人は口を揃えて悲しそうな顔をして言うのだ。
「言ってくれれば助けてあげたのに」